旅のフォトエッセイ 「彼方からやってくる」

 数年前のことだが、世界の各地から何の予告もなく「顔」が送られて来ていた。といってもその正体は手紙(封筒)である。差出人の名前は無く封筒の中身はいつも空。何も入っていない。消印にはそれぞれの国や都市の名が記されてあり、なかには沖縄まである。アメリカの見知らぬ街から送られて来た手紙は雨にでも濡れたのか、水滴の痕が付いている。べつに頻繁に送られて来るわけではない。年に2、3通程度で最後に送られて来たのは3年ほど前、いつものようにジョギングから帰って来ると、それはポストのなかにあった。消印はパリ。差出人はパリで消息を断った。さてはこの無益な行為に飽きてしまったのか、もしかするともうこの世から居なくなってしまったのか。。。それ以降、郵便物が気になり、来ないとなると何故だか少し寂しい。
 
 封筒に刻印された見知らぬ顔はいつも同一の顔で、遥かな距離を旅して来たはずなのに疲れた表情などみじんも見せない。当然だけど。。。この顔を眺めていると、だんだんとそれが友人や知人、はたまた隣の奥さん、いやこれはひょっとして自分自身の顔ではなかろうかとまで思えてくる。少し右を向いた顔はモナリザよろしくいつも謎めいた表情でこちら側を見ている。それは人間を「無人称化」する能面のような誰でもない誰か。さながらモナリザは西洋における能面ということか。矩形に切り取られた「顔」は人種や性別、そして年齢といったいっさいの情報が切り落とされ、切手と筆跡だけが辛うじてこの顔に個別性という生命を与えているかのようだ。
 ふと、こう思うことがある。この手紙は本当に存在しているのか。もしかして、僕はまだ醒めない夢のなかにいて、すべては架空の出来事だったというのか。さらにはこの手紙のことを誰かに語ろうとした瞬間から、泡のように跡形もなく消えてしまうのではないか。
 そして長い年月が経ちいずれこの手紙の存在が記憶の淵に沈み忘れ去られた頃、年老いた自分の顔を鏡に映し覗き込む、そこには紛れもなくあの時のあの顔が映し出されていた。
「忘却の彼方からこんにちは」。    
なんて幻想めいたことを想像しながら。。。
*この封筒は筆者とグラフィックデザイナーの赤松幸子氏との共同作業によって生まれたものである。

山本真人
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